札幌葡萄酒醸造所


 
日本の本格的なワイン醸造は、明治時代になってから始まりました。

明治政府は、米不足の緩和のための日本酒消費量の削減と、輸出産業創出を目的として、
欧米からブドウ苗木を輸入し、全国各地でワイン製造を推奨しました。
また、政府による官営事業として、明治9年(1876年)、札幌市に開拓使葡萄酒醸造所が
作られました。

開拓使は、葡萄酒醸造所と麦酒醸造所を現在の札幌市中央区北2条東4丁目に同時に
建築しました。東側が葡萄酒醸造所で、敷地は約6,573平方メートル、西側が麦酒醸造所で、
敷地は約13,167平方メートルです。
ここは豊平川の伏流水に恵まれ、豊平川支流のフシコサッポロ川沿いにあり、
石狩川を下って小樽港に製品を運ぶにも便利な場所でした。

醸造所では初め野生のブドウを原料として醸造し、翌年から札幌官園で栽培された
アメリカ種を用いて、フランス式製法で醸造されました。
また、醸造されたワインからブランデーも製造していました。


  札幌葡萄醸造所
 
  これらの醸造所は明治15年に開拓使が廃止されたのち、農商務省の管轄となり、
明治16年に北海道事業管理局管轄となり、明治19年に北海道庁の管轄となりました。

その後、葡萄酒醸造所は職員であった桂二郎に委託経営をすることになり、
明治20年には払いさげられ、花菱葡萄酒醸造所と名前を変えています。

さらに明治21年、実業家の谷七太郎に引き継がれて、大正初期まで醸造してしました。

明治40年、政府が苗穂地区のブドウ畑に鉄道車両工場を作るまで、
札幌では広く葡萄が栽培されていたようです。